そういえば、母校(中高)の学生募集パンフレットに載るそうです。
先週金曜日に取材の人とカメラマンのお姉さんが来ました。
取材の兄さんは野洲の人らしく、三上小→野洲高だったとか、定番の西川貴教の話だとか、野洲北ができる前の話とか超ローカルトークが展開しました。

このにいさんが中心となってインタビューされて、写真をとられて、今日はコピーライターの人から連絡がきました。うーん、本格的に作ってるんやな。私立は少子化に輪をかけてこの景気では大変やろねえ。 ← 他人ごと


嫁ブログより

文系理系

池袋駅前の横断歩道のとこで演説をしていた人達が、演説を終えて「静聴頂いた方々に礼!」とやっていて、そうやって礼をしている人達の横をノーアクションでスルーして横断歩道を渡っていくのは嫌だなあ、演説をした人達は、こうやって、ほとんどきいてない人達を相手に礼をするというのはどんな思いなんだろう

というようなことを、一緒にいた夫に言ってみたところ、

「人の流れが流体力学を思わせるかなあ」

みたいなことを言われて(流体力学だったか?なんか定点観測がどうのと言われた気もするけど、間違ってるかも。うろ覚え)

物事の見方、捉え方や考え方が根本的に違うんだということを、あらためて実感しました・・


しばらく前の話なのに根に持たれてるな・・・理系クンとかなんとかマンガが売ってますが我が家ではあんなの普通ですよ

真相はどうでもいいとして、人の流れを流体だと思ったときに、ラグランジュ的(※1)な捉え方だとずっと聞いている人はどこかへ行ってしまってるけど、オイラー的(※2)にとらえれば人の流れは常に横断歩道にあるわけで。演説者は個々の人などみてないだろうから、オイラー描像で説明できるなあと思ったのですよ。

それにしてもwikipediaの流体力学は完成度が残念すぎる
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B5%81%E4%BD%93%E5%8A%9B%E5%AD%A6


※1 流体をラグランジュ的に見る、とは、流体を構成する個々の粒子の動きに注目して定式化したもの。川を流れる桜の花びら的な見方(やや嘘だが)。
※2 オイラー的とは決まった場所を通過する流体の動きに注目して定式化したもの。普通に川を眺めているときは無意識にオイラー的に見ているはず。

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